制度的起業家とは何か ― スタートアップが制度を変革する力

スタートアップの世界では、革新的なアイデアや技術が注目されがちです。しかし、それだけでは事業が社会に根付くとは限りません。とくに規制や業界慣行といった「制度」に直面したとき、起業家は思いがけない壁にぶつかることがあります。

この壁をただの障害とみなすのではなく、新しい制度をつくり出したり、既存のルールを変えたりする力を発揮する人たちがいます。

そうした人々は「制度的起業家 (Institutional Entrepreneur)」と呼ばれ、スタートアップ経営において重要な役割を果たしています。

制度的起業家とは何か

学術的定義と起源

制度的起業家という言葉は、経営学や組織論の研究の中で登場しました。従来の起業家が新しい事業を生み出すことに注力するのに対し、制度的起業家は社会や業界のルールそのものを変える存在として説明されています。

彼らは単に事業を拡大するだけではなく、新しい市場や制度を形づくることで、自社だけでなく業界全体の未来に影響を与えることを目的としています。この点において、制度的起業家は社会的な影響力を強く意識した活動を行うのが特徴です。

イノベーターとの違い

イノベーターは新しい技術やサービスを市場に投入する人を指します。彼らが主に注目するのはプロダクトやビジネスモデルです。一方、制度的起業家はそのプロダクトやビジネスを支える制度やルールに働きかける点で異なります。

言い換えれば、イノベーターが環境に適応して成功を目指すのに対し、制度的起業家は環境そのものを変えることに挑戦するのです。この違いは、スタートアップの成長戦略を考えるうえで非常に重要な視点となります。

制度を変革する力の本質

ルールメイキングの視点

制度的起業家の特徴は、単なる事業活動を超えて「ルールメイキング」を行うことにあります。ルールメイキングとは、法規制や業界標準を変えたり、新しい枠組みをつくったりすることを指します。

このような取り組みは、規制当局や業界団体との交渉や連携を必要とします。スタートアップにとっては大きな挑戦ですが、成功すれば市場全体に広がる効果を生み出すことが可能です。

ナラティブと社会的正当性

制度を動かすには、社会的な理解と支持を得ることが欠かせません。そのために重要になるのが、共感を呼ぶ物語、つまりナラティブをつくる力です。ナラティブは、単なる説明ではなく、人々に「なぜその制度が必要なのか」を納得させる説得力を持ちます。

さらに、メディアや世論、コミュニティとの関係を築くことも欠かせません。社会的正当性を得ることで、制度改革は単なる一企業の利益追求ではなく、社会全体の利益につながるものとして認識されやすくなります。

スタートアップ経営者にとっての実践的含意

制度を「壁」ではなく「資源」として捉える

多くの起業家にとって、規制や業界ルールは成長の障害に見えるかもしれません。しかし、制度的起業家はその制約を逆手にとり、新しいビジネスチャンスに変えていきます。たとえば、規制をクリアすることが参入障壁となり、競合との差別化につながる場合があります。

このように制度を「資源」と考えることで、スタートアップは持続的に優位性を確保できます。制度そのものを味方にする姿勢は、事業を長期的に安定させるうえで有効な戦略となります。

アクションのステップ

制度を変革するには段階的なアプローチが求められます。まずは社会に存在する課題を明確にし、問題提起を行うことが出発点です。そのうえでステークホルダー、つまり規制当局、業界団体、市民団体などと協力関係を築いていく必要があります。

さらに、小さな実験的取り組みを通じて制度の有効性を証明することが効果的です。このような実績を積み重ねることで、制度変更や新ルールの採用に近づくことができます。

事例に学ぶ制度的起業家

国内外の成功事例

フィンテック分野では、多くのスタートアップが既存の金融規制を乗り越え、新たなルールづくりに関与してきました。規制緩和の実現によって、個人向け送金やオンライン融資といった新しい市場が生まれています。

また、モビリティの分野では、配車アプリや電動キックボードの普及に合わせてルールが整備されました。スタートアップが社会的な利便性を示し続けることで、制度側も適応せざるを得なくなったのです。

制度を動かす失敗事例

一方で、制度を無視して事業を強引に進めた結果、社会的な反発を受けたケースも存在します。たとえば、十分な安全対策を講じないままサービスを展開した企業は、短期間で規制強化に直面しました。

このような失敗から学べるのは、制度との関わり方において「透明性」と「社会的責任」を軽視してはいけないということです。制度を動かすには、単なる挑戦だけでなく、信頼を積み上げるプロセスが不可欠です。

経営者が意識すべき視座

長期的な視点

スタートアップは短期間で成果を出すことを求められる場面が多いですが、制度を変える活動には時間がかかります。すぐに利益につながらないとしても、長期的に見れば業界全体の基盤をつくることが、自社の持続的な成長につながります。

制度的起業家としての取り組みは、単なる戦略的な選択ではなく、次世代の産業環境を整備する営みです。目の前の収益だけにとらわれず、未来に向けて制度を形づくることを意識する姿勢が重要になります。

倫理と責任の問題

制度に働きかける行為は、大きな社会的影響を伴います。そのため、経営者は自らの活動がどのような影響を及ぼすかについて責任を持たなければなりません。倫理的な配慮を欠いた制度改革は、社会の反発を招き、企業の信頼を損なう危険があります。

制度を変えるときには、透明性を確保し、持続性を考えた取り組みを行うことが求められます。単なる企業の利益追求にとどまらず、社会的な価値を生み出す方向性を大切にすることが、制度的起業家にとって不可欠な要素です。

まとめ:制度を変えることは未来をデザインすること

制度的起業家は、単なるイノベーターとは異なり、社会や業界のルールを変革する存在です。その力は、スタートアップが事業を拡大するだけでなく、社会全体の仕組みをより良い方向に動かす可能性を秘めています。

スタートアップ経営者にとって、制度は避けるべき障害ではなく、新しいチャンスを生み出す資源です。制度を動かすためには、課題提起からステークホルダーとの連携、そして社会的な合意形成まで、粘り強い取り組みが必要になります。

最終的に、制度を変えることは未来をデザインすることにほかなりません。自社の利益と社会の利益を重ね合わせ、持続可能な制度をともに築く姿勢こそが、次世代の起業家に求められる資質だといえるでしょう。