「”小中学校の友人”なんてクソみたいなもの」ですらなかった話

生き方

中学3年のときマラソン大会で全校の1位でした。
高校は県内の公立に一般入試で入りましたが県外の私立に推薦で入れるくらいに身体能力は高かったです。
また卒業式には学生服のボタンが全て無くなるくらいにリア充でした。

なぜ昔は凄かった自慢をしたのかというとこれから書く記事が学生時代にショボかった人間が社会人になってまあまあ成功して過去をなかったことにしようと思って書いているわけではないということを明確にしておきたいからです。

ちょっと自慢も入ってるけど…

名前だけでは同じ学校だったかさえも思い出せない

2017年のプレジデントオンラインに中川淳一郎さんが投稿した記事に「”小中学校の友人”なんてクソみたいなもの」というものがあります。
TBSの『林先生の初耳学』という番組でも取り上げられたので覚えている人もいるかもしれません。

内容を簡単に説明すると「小中学校時代の友人なんて大人になったら付き合いはなくなるのだからそれほど重要ではない。いじめられたら反撃しても逃げても良い。大人になれば居場所は出来る。そして大人はこれらの現実を子供に教えるべき」というものです。

この記事を読んだときに自分の小中学校時代から社会人までを振り返ってみたのですがまさにその通りだなと思いました。

しばらくこの記事のことは忘れていたのですが最近になって思い出す機会がありました。

私は複数の仕事を手がけています。
そしてそれらの仕事ごとにウェブサイトを持っています。
そこには自分の名前が書いてあります。

姓も名もありきたりなものではありますが漢字だとちょっと珍しいので知人が検索すればすぐに見つけることができます。
サイトを公開した当初は知人程度の人たちからけっこうな数のメールが来て鬱陶しかったので途中からは画像にしたり、ローマ字表記にしました。
それでも私のことを知っている人間がキーワードを組み合わせて検索すればすぐに探すことが出来ます。

先日も中学時代の同級生を名乗る人物から連絡が来ました。
見覚えがあるような気もするけれどよくある名前でもあるので詐欺か何かだと思ってスルーしようと思ったのですが、たまたま実家にいたので卒業アルバムを確認してみました。
そしたらその名前があったのです。「ああ…確かにいたなあ」と記憶が甦りました。

せっかくなので卒業アルバムをじっくりと見たのですが卒業してから一度も思い出したことのない人がほとんどでした。
思い出すことがあるのは数人しかいません。本当に仲の良かった友達だけです。

私の出身中学は1学年が100人ちょっとの田舎の公立です。
当時は全員の顔と名前は一致していたと思います。たぶん。
しかし今は名前だけでは同級生だったかどうか判断できない人が多いのです。
ちなみに担任についてもアルバムを見て思い出した程度でした。
他の教師については「あれ?この先生は中学校ではなく小学校のときの先生じゃなかったかな?」と思う人もいたくらいです。

小中学校時代にトラウマとなるような嫌な記憶というのはなかったと思います。
なので精神的安定を保つために心の奥に抑圧しているということはないでしょう。

少し前に脳のMRIを撮りましたが全く異常はありませんでした。
脳機能の障害によって記憶が消えているということもないはずです。
むしろ記憶力は良いほうだと思います。
それでも忘れているのです。

親が住んでる場所が近かっただけの関係

なぜ小中学校の友人(というか知人)のほとんどを忘れているのでしょうか?

おそらくそこには「自分の選択」が存在していないからだと思います。

私は小学校も中学校も地元の公立ですから受験をして入学したわけではありません。
そこに住んでいたから入学したのです。
つまり小中学校時代の仲の良くないクラスメイトというのは親が住んでる場所が近かっただけの関係ということです。

私はこの感覚を小学生の頃から持っていたような気がします。
自分の意思でここにいるわけでもない人間同士なのに「みんな仲良くしなさい」と言われることに違和感を抱いていました。
「好きな相手とは仲良くしたいけれどそうでない相手とはどうでも良いではないか」と思っていたのです。

クラス対抗の体育祭や合唱大会といったものにも全く興味がありませんでした。
勝手に割り振られた集団の中でなぜ結束してひとつの目標に向かわなければならないのだろうと考えていました。
手を抜いていたとかそういうことではなく、体育祭で「絶対に勝ちたい」と言っているクラスメイトが全く理解できなかったのです。

クラスが同じだけの相手というのは毎日同じ電車に乗り合わせている他人くらいの感覚だったのかもしれません。
「卒業したら用はないな」とも思っていたかもしれません。

小学生や中学生の頃というのは選択肢が少なすぎるため今よりもクラスメイトの存在感を大きく感じていたかもしれません。
しかし高校、大学、社会人と上がっていくにつれ自分の好きなものだけ選択できるようになるとその存在さえ忘れてしまうのです。

実際に大切なものではないのです。

クソは意識の中に存在し続けるが……

道でクソを踏むとその日はずっと気分が落ち込みます。
クソというのは私の意識の中に存在し続けるのです。
しかし小中学校の友人のほとんどは存在すらしません。
つまりクソみたいなものですらないのです。

もうすぐ夏休みが終わります。
学校が始まるのが嫌だなと思っている子供もいるでしょう。
中にはクラスメイトや先生からイジメられるのが不安で体調をくずしている子供もいるかもしれません。

「クソみたいなものですらないもの」のために大切な人生を壊されないことを願います。

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